ルイス・デ・アルメイダ
みなさま、戦国時代後期に来日し、キリスト教の布教に励んだルイス・デ・アルメイダという人物をご存知ですか。彼はキリスト教の宣教師であり、医師でもありました。一時期は、豊後府内(大分県大分市)にとどまり、布教とともに医療に励んだとされています。またその際、私財投じ乳児院を設立しました。このような功績や志に敬意を払い、大分市にはアルメイダの名にちなんだ「大分市医師会立アルメイダ病院」があります。晩年は天草の河内浦(熊本県天草市)に腰を据え、布教、医療に尽力することになります。
天草でのキリスト教布教
晩年天草を訪れたのには、当時天草を納めていた国人・天草鎮尚がアルメイダを天草に招いたためとされています。国人とは、その土地を統括していた領主の事を指します。当時の天草は五人の国人【天草五人衆】が支配していました。その中の一人、志岐麟泉が最初に行動を起こします。彼はまず、キリスト教の洗礼を受けます。志岐(苓北町)を統治していた志岐麟泉は自分が納めている地に教会堂を建てます。さらに日本国内のイエズス会の宣教師を集めた志岐宗教会議を開きます。こういった行動の理由は、キリスト教の教えに感銘を受けたことよりも南蛮貿易を優位に行うためであったとされています。
また時期をあけず、志岐氏だけではなく、他の国人も洗礼をすることになります。天草五人衆の一人、天草鎮尚の受洗もあり、天草の西側の海岸一帯とキリシタン布教地域とすることで貿易船の受け入れできる体制が整います。